アインシュタインが示した様に物質とはエネルギーである(E=mc2)。
そして、エネルギーは消滅しない(エネルギー保存則)。
この2つのことから言える事は
「私達は死んでもエネルギーへと形を変えるだけで、消滅しない」
ということだ。
なので、案ずる必要はない。
死は消滅を意味しないのだ。
死とは変化にすぎない。
一時的に私達の肉体をまとった宇宙のエネルギーがまた再び宇宙に戻っていく過程。
それが死だ。
そしてそれは私達の宇宙への帰還だ。
私達はもともと宇宙のエネルギーの分身なのだ。
物質的に見てもそうだ。
私達の体の水分の水素は38億年前のビッグバンで出来たものだ。
そして私達の体を作っている炭素や酸素も血に中にある鉄も元々超新星爆発で飛び散ったものだ。
私達の体(≒エネルギー)は全部宇宙から来ているのだ。
ではエネルギーとは何だろうか?
それはそれ以上遡れない前提だ。
エネルギーの出現と共に時間も空間も生じた。
エネルギーの出現以前に時間は存在しない。
つまり、それ以上は遡れない前提がエネルギーだ。
そうそれは、まるでそれ以上は遡れない「神」のようなものだ。
そうすると、我々は神の一部がこの世に肉体という姿形を借りて現れたようなものだ。
神はきっと退屈だったのだろう。
だから、わざわざ、肉体を経てこの世界を体験しにきたのだ。
そして、私達は再び神の元に帰っていく。
だから、私達の人生は神の暇つぶしの一時のようなものだ。
だから、辛さも優しさも全てひっくるめて肯定してしまえばいい。
悲哀も歓喜も全てひっくるめて肯定してしまえばいい。
苦痛も安楽も全てひっくるめて肯定してしまえばいい。
それらは神からしたら全てが楽しみなのだから。
そして、だからこそ、私はこの短い人生を楽しみたい。
肉体を与えられた貴重な時間を私は楽しみたい。
全てが肯定されるなら心のままに生きてみたい。
ハートの声に従って生きてみたい。
私の中から生じるハートの声に従って生きてみたい。
そして、同時に実はそれはどこかからふってくる声でもあるのだ。
それは私の声でもあるが、私だけの声でもない。
私の中から湧き出る声。
しかしそれは私が意志して生み出したものではない。
どこかからやってくる声。
それがハートの声。
それは私と何かの共同作業。
何かと私の共同作業。
どこかからやってくる声が私というプリズムを通った結果。
それが私のハートの声。
そして、それに従って生きた時、私の命は炸裂する。
短い人生の中で、私の中で何かが炸裂する。
そして、それは歓喜となり永遠となる。
そしてその歓喜の歌はきっとその何かに届くはずだ。
だから、耳を澄ませてハートの声を聴いてみよう。
世間のノイズにまみれた声から本当のハートの声を聴き取ってみよう。
耳を澄ませば、きっと聴こえるハズだ。
胸にそっと手を当てて静寂の中で静かにハートの声を聴いてみよう。
そして、それが聴こえたならばそれに従って生きてみよう。
そして、それに従った生きた時、人生はアートになる。
私の人生自体がアートになる。
ハートの声に従って日々を生きた時、その人生自体がアートになる。
それこそが真実の道だと私は信じている。